いまや、カレーライスやとんかつと並び日本人の国民食と知られているラーメン。その中華麺と小麦粉の歴史や文化について深掘りし、ふだん何気なく食している中華麺について考察していきたいと思います。
小麦粉の歴史
小麦や大麦は人類最古の作物のひとつとされ、遺跡から小麦の穂が見つかっていることから、約1万年前には栽培が始められていたといわれています。当初は石にはさんで砕き焼いて食べていましたが、土器が発明されると粗挽きにした麦をお粥として食べていたと言われています。
紀元前3,000年頃、エジプトで発明された石臼は、石の皿に小麦を入れ、その上から体重を使って石ですりつぶすものでした。紀元前600年頃になると、回転型の石臼が考案されます。上と下2段の石を回転させ粉を挽くことで、従来よりきめの細かい小麦粉を作ることができるようになりました。この回転型石臼の原理はヨーロッパや中国にも伝わっていきます。
日本人と中華麺
日本でも弥生時代の中期頃には麦類の畑作生産がされていました。この時代は小麦を重湯にして食べていたようです。その後、粉にした小麦を平らにして焼いて食べるようになり、紀元前2,000年頃には現代でいうパンに似たものを作るようになったと言います。
日本へは麺は中国から伝わってきました。室町時代になると、おもに禅僧のおやつとして食べられていたようです。日本のラーメンの中華麺には必ず鹹水が使われています。鹹水とはアルカリ性の塩水のことですが、これを小麦粉に混ぜ練り込むことにより、麺にコシが生まれます。その他にもこの鹹水によって中華麺特有の麺の特徴を作り上げています。
例えば、このアルカリ性のために小麦粉の持つフラボノイド色素が反応して黄色く変色することが挙げられます。また小麦粉の中にある生のデンプンがこの鹹水により可食状態のデンプンに化学変化することにより、中華麺の茹で上がりが他の麺に比べて早くなります。
その他にも、鹹水を利用することによって小麦粉の中にあるグルテンがタンパク質へと変性し、麺が縮れやすくなることも挙げられます。そんな黄色い縮れた麺とこだわりのスープに具材を加えたらラーメンになります。
先にも述べさせていただいた通り、室町時代、京都の相国寺にいた僧侶の日記「蔭涼軒日録」に小麦と鹹水を使用した中華麺を食した記述が残されています。明治時代、横浜開港とともに中国料理の白濁した豚骨の汁麺が伝来されました。
当初はもっぱら居留する中国人相手のメニューだったと言います。その後、明治43年に浅草で開業した「来々軒」によって、日本人の口に合うように鶏ガラ醤油スープが考案されたと言われています。その後、昭和に入り、多種多様な現在のラーメン文化が開花していきます。
まとめ
いかがでしたでしょうか? 小麦粉は世界的にも人類に親しまれた食品だったことがお分かりになったと思います。また、日本人にとって中華麺がなじみ深いものであったこともご理解いただけたと思います。いまや海外にまで進出している中華麺のことをよく知って経営にお役立ていただけたら幸いです。
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