中華麺といえば、かん水独特のアルカリ臭や卵の香りなどを工夫できる他、食感を加水率や小麦粉の特性などで調整できることでスープに特化した麺作りができるので、中華をメインとするお店ではこだわるところでしょう。では、今回は2017年に新たに発見された文献の内容も加え中華麺の歴史をおさらいしていきましょう。
■中華麺の誕生
中華麺は中国の内モンゴルにある鹹湖(かんこ)の水を使用することにより、強いコシのある麺ができることがわかり、鹹湖の水を中華麺の水として用いるようになったとされています。鹹湖とは、淡水湖でもない湖沼で、岩塩が広く分布している地域では塩水の湧き出る鹹湖もあるといいます。
中国全土に広がったのは、中国の一寒村がはじまりで、その村の生活状態を調査し得られたデータによると、農民が山から湧き出る水を使って麺づくりを行ったところ、井戸水を使った麺とは違う麺ができたことを発見。実は、この山の土質にアルカリ性物質が大量に含まれていて、この物質が溶解していたためだということは知らなかったのですが、この地方の農民がこの水を煮詰めたり、固形化(石かん水)にして各地に移出したことで中華麺は中国全土に広まっていったとされています。
日本においては、1859年・安政5年に横浜港の開港により中国人による中華料理店が営業を開始し、支那そばの名称で徐々にその数を増していき、人々が知るところとなりました。中華麺を製造するにためになくてはならないものが「かんすい」ですが、中国では天然物が使用されていましたが、日本では輸入されたものでしたが、現在ではほとんどが科学的合成物から作られています。
なぜなら、主成分である炭酸カリウムは中国南方地方(広東、台湾等)の植物の灰汁を濃縮したものであり、炭酸ナトリウムは中国北方系(北支、蒙古等)でアルカリ性を含む水を濃縮したものであるといわれているからです。昭和20年以前は輸入によるかんすいを使用していましたが、20年以降は日本で作られた科学的合成品の炭酸アルカリをほとんど使用することになりました。
■2017年日本での中華麺の歴史が見直された
これまでの文献上ではラーメンの歴史は江戸時代に水戸黄門(徳川光圀)が日本で最初に食べたと言われていましたが、最近になって室町時代(1488年・長亨2)に僧侶の「陰涼軒日録」という日記の中で「経帯麺」が食べられていたというラーメン史を覆す資料が発見され話題となっています。「経帯麺」にはかん水が使用されていたという新事実により、日本で初めてのラーメンとされました。
そのラーメンに使用された「経帯麺」ですが、中国の書物で居家必要事類によると形状は巻物に使われる平紐のように平たく、現在の中華麺よりも塩の配合が多く麺自体に味がついているということです。
■まとめ
歴史というのは面白いもので、後に発見された文献などから新たな記録が出てくるとその歴史が塗り替えられていくので、これからも、もしかしたらこの記録が塗り替えられる時がくるかもしれません。
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